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どうも、あいたんです。
本日、ついに会社を休んでしまいました。自分よりも強い人たちの板挟みになって胃を痛め続ける制作進行という仕事のつらさに、負けてしまったのです。
夕方くらいまでは布団にくるまってぼーっとしておりましたが、それではせっかく休みになったのに何をしていたのかとまた自己嫌悪に陥りそうで、三島由紀夫の『行動学入門』を読んでおりました。
その第二編、「おわりの美学」の一節「世界のおわり」を読んでみると、どうやら私が大学二年生の拗らせていた頃に書いたmixiの日記に近しいことが書かれていて、「なんだ俺ももしかしたら作家になれるんじゃないか」という恥ずかしい幻想を少しでも見てしまったがために、せっかくの機会だからとわざわざそれを掘り起こして転載するに至ってしまった。お目汚し、堪忍頂きたい。
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『死ぬまで解けないかもしれない難問』
今朝、夢を見ました。恐ろしい夢を。
死を告げられるんです。10日後に死ぬっていう。
よくわからないんだけど、呪いみたいなもんなんですよ。
自分は前にも似たような夢を見ていて(正確には脳の働きによって見た気がしているだけかも。デジャヴみたいな)、その呪いで死んでる人をたくさん見てきたので、その呪いの信憑性や恐ろしさは嫌というほどわかっているわけです。
自分は最低です。残り僅かな人生、とにかくその呪いを他人に移すことだけを考えて生きました。
よくガンとかで「余命いくらです」ってのあるけど、残った時間を楽しもうと切り換えてゆくことなんて自分には無理だと思いました。
でも、実際人はいつか死ぬし、残った時間が限られているという意味では、今の現実の自分も同じ状況のはずなんですよね、論理的には。
でも脳はそれをごまかそうとするんです。「まだ(先は)長い、まだ長い」って。無意識のうちに死の恐怖を忘れているんですよ。
時々そのことに気付いて、胸が苦しくなります。このままのほほんと生きていたら、たくさんの後悔を残したまま死にそうで、すごく怖くて。
最近はそのことを思い出す頻度も減って、ますますその感覚が鈍ってきた気がします。
小さい頃より周りが見えてきて、そこら中に転がっている楽しいことで自分をごまかしているというか。
小学生の頃は、自分にとっての世界なんてのはものすごく狭くて、周りが見えていないためによく人生の意味について考えていました。
「いずれ死ぬのになんでみんな頑張って生きてんだろう」ってのが本当に疑問で。いくら積み上げていったっていずれ手放さなきゃいけない時が来るわけで。そう思うと死ぬのが怖くて仕方なくて。
もっといくと「人類はいずれ滅亡して、その存在を知るものさえいなくなるのなら、今この世界で起こっていること全てに何の意味があるのだろう」とか。
数々の物理学者が発見した法則も、社会の進歩に追い付こうと変わり続ける法律や制度も、今まさに築こうとするあなたと私の関係も、その繋がりによって広がっていくであろうこの世界も、全ていつかは0になるんです。
人類はいずれ無となる将来に希望を抱き続け、迫り来る環境問題に対し延命措置を繰り返し、やたら蓄積することに躍起になっていますが、その蓄積が全くの無意味だとしたら…
物理が大好きだと言って物理法則を勉強することも、法律や制度に従って生きることも、友人を増やしたり関係を深めていくことも、全て無意味で馬鹿らしいことに見えてきませんか?
でも、自分が取る行動はいつだって真逆です。
物理に限らず好きなものに挑戦し続けている、犯罪者になって人生を棒に振るのが嫌だから法律に従っている、わけもわからず周囲に合わせ人間関係を構築していく。
どれもこれも、一度きりの人生を無駄にしたくないという思いに駆られてやってます。
「無意味な人生を無駄にしないように努力する」って明らかに矛盾してますよね。無駄にするもなにも端から無意味なんですから 笑
これは今も解けない謎で、たまに考えたりします。まぁそもそも死によって人生が無意味になると考えなければ済むことですが 笑
もしかしたら、蓄積というのはヒトという動物の本能なのかもしれませんね。地球上で唯一歴史を刻んできたのが人間ですし。
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いずれ無価値になる人生に対して何故人は価値を積み重ねるような行動を取るのか、という疑問に対し、「蓄積というのはヒトという動物の本能なのかもしれませんね」などと、曖昧な推測を結論に持ってきてしまっているのがこの日記の非常に残念なところで、三島由紀夫はそこに的確な答えを持っておりました。
「しかしもっとも恐ろしい悲劇は、世界のおわりの予告が当たらず、実際にはいくら待っても世界がおわらなかった場合の話です。そのときにまた、我々が滅びない世界において、何にビクビクして暮らしてきたかが、はっきりわかってくるに違いない。世界がおわらないならば、われわれは他人を恐れて暮らさねばならぬということが」だそうです。
『死ぬまで解けないかもしれない難問』なんて題を付けてまで書かれた疑問が、その6年後に三島由紀夫を読んだらあっさり解決してしまったのです。これでは私はやっぱり作家にはなれないのだなあ、と人生への行き詰まり感は拭えないままなのでした。