『京都で考えたを読んで考えた。』かよ

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こんばんは。あっという間の文通ちゃんねるでした。
かえるさんにかわりまして、かよがすえこさんのお題をいただいて、自由に書かせてもらいます!

 

 

先日、「京都で考えた」という作家・吉田篤弘さんが京都について語ったエッセイを買いました。

 

 

『京都にどんな用事があるのかと云うと、さして用事はなく、いつもそうなのだが、ひとりで街を歩いて考えたいと思っている。』

 

『行くところはあらかた決まっていて、古本屋と古レコード屋と古道具である。あとは喫茶店と洋食屋だろうか。わざわざ京都まで来てどうして、と思う人もいるだろうけれど、自分にとって京都という街は、そういった店々を停留所にして、あてどなく歩きまわることに尽きる。』

 

最初のページにあったこの文に惹かれて、吉田さんの本も存じ上げないのに買ってきてしまいました。生まれた土地でもないのに大好きで春まで住んでいた京都。大した生活もしていないし、京都にいなきゃいけない理由なんてないのに、ただ居心地が良くて離れられなかった京都。その京都について語ってあって、私が離れられなかった理由はこれだったのかなぁ、と京都が恋しくなりました。(毎月のように言ってるけれど)

 

それと同時に、私がにっけちゃんねるさんで、日記を書かせてもらい始めた頃のことを思い出しました。関東にいずれ行くと決めつつ、まだ京都に住んでいる時で、当時の私も京都の街をただ歩くのが大好きでした。休日の度にいつもと大して変わらない道のりをお気に入りのスタバまで30〜40分かけて歩いて、スタバに着いたら少し本を読んで、携帯で日記の下書きをするというのが私のリフレッシュだったのです。

 

 

ここでまた本の話に戻るのですが

 

『本を読んで人は現実逃避をする。本を読んで人は考える。どちらでもいいけれど、ぼくは「考える派」だったので、皆、きっと考えたいのだろうと勝手に思っていた。本を読むことで考えるきっかけが生まれたり、わずかながらでも、読んだことで考えが変わったり前へ進んだりするのは悪いことではない。』

 

とあって、私にとってもまさにそうなのです。(現実逃避でもありますが!!!)

 

そして、考えて日記に書くことが一種の消化でした。人に伝えるためではないので、まとまってないことがほとんどで、読んでくれた方の時間を使わせてしまうことが申し訳ない気持ちもあって。あとから、ああ感情的すぎたな、とか本当にくだらない話だなぁ、なんて思ったりすることだってあるのですが、その両方あるのがそのまんまの自分なんだな、と思えるようになりつつあります。

 

今日も、こうして読んだ本を完全に自分にかぶせて捉えてしまっていますが、そんな時間を過ごすことで私は穏やかな気持ちを得ることができるので、文通ちゃんねるを抜けても、これからも変わらず思いついた時に日記を書かせてもらおう!と思っています。

 

最初は、文が書けるかな、、とか、書こうとするまでって時間がかかるんですけど、書き始めてしまうと意外と書きたいことで溢れるもので、終われなくて困ってしまうくらいです。人って本当は自分のこといっぱい話したいんだなぁ、と思います。
なので、もしブログ興味あるけど書けるかわからないし、まだ勇気が出ないって人も、とりあえず書いてみたらいいんじゃないかなぁと思います。合わなければやめたらいいです、顔も名前も変えてやり始めてみるのがオススメです。今日はそんなことを言ってみたい気持ちになりました☺︎

(今更だけど、日記に誘ってくださったにっけさんありがとうです。)

 

 

では、れいさん!

▷▶︎ブログを書き始めてみて、いかがでしたか?

と、あとは書きたいことを思いっきり書いてください。

 

では!
木曜日、かよでした。