虐殺器官【読書ログ】
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虐殺器官/伊藤計劃
読書日・読書場所
昨年11月ごろからだらだらと1/24まで。主に自宅にて。
感想
肉体の臓器が遺伝子によって規定されているのに、心だけが自由であるはずがないというお題からスタートする。心によって生まれた言語や利他行動は人間固有のものだが、それは他種と比べて特別なことではなく、鳥に嘴があるのと同じ。ただの進化の過程にすぎず、今はそれが中途な状態にある。筆者はそう冷静に論を展開してはいるものの、戦争や飢餓の描写を読んでいると、見たくないものを見ないでいる、中途半端に倫理性を獲得した人間という生き物について、怒りを覚えているように感じた。
それについては私も思うところがある。2011年、東日本大震災が起こったとき、いろいろなところで不謹慎だという声を聞いた。つらい思いをしている人たちがいるのに、平然と日常を謳歌することに対しての疑問の声だと思う。けれど、世界的に見れば、日常的に戦争だったり飢餓で苦しい思いをしている人たちは無数にいるわけで、何も震災だけが特別なことではない。それなのに何故か震災のときだけ騒ぎ出すのだ。普段他のところで起きる不幸には目もくれず、のうのうと日常を謳歌しているくせに。自分の目に飛び込んできたものだけがすべてだと信じ込んで、自分の知らないところで多くのことが起こっているということを想像すらできない人間の傲慢さに吐き気がしたものだ。
本作では、最終的には幾人かの登場人物が各々自ら進んで罰を受ける形で利他行動を示し、話が収束していく。人間の利他行動や倫理性が、いずれ完全なところに至ることを匂わせながら。筆者は怒りを感じながらも、基本的にはそうした人間の行動原理を愛おしく思い、一縷の希望を抱いていたのかもしれない。私はそこに深い共感を覚えた。第5部はカタルシスが押し寄せてあっという間に読めてしまった。
あとやっぱりサイバーパンクはいいね!伊藤計劃は社会派SF作家だった。世界地図を見ながら読みたくなった。
サイバーパンクでは往々にして特定のシステムで管理された地域の話が描かれるけど、大概は同時にその管理外となる地域も存在するので、文化の異なる様々な地域を巡りながら話が展開するんだけど、そういうロードムービー的なサイバーパンク本当好き。イノセンスしかりサイコパスしかりハーモニーしかり
— あいたん (@aitanprpr) January 23, 2016
ついっとまとめ
「究極的には理性に価値判断を任せていては人間は一切物事を決定することごできない」とかいう核心を突くような台詞がポンポン出てくるの、伊藤計劃のすごみ #虐殺器官
— あいたん (@aitanprpr) January 19, 2016
#虐殺器官 暗喩、擬人化結構多い。魂を特別扱いしないから、物と人の境界薄いからか。詩的な表現ありかも。取り入れたい
— あいたん (@aitanprpr) January 20, 2016
綿密なフックの反復。先に引用を提示しておき、数ページ後に即した状況を提示する。例、リゲティ(2001年宇宙の旅、挿入音楽のコンポーザ)、ヒンズーへ向かう森から聞こえてくる大勢の人々が死ぬときのうめき声に例えて。あとで列車が横転して大勢死ぬ。これがリゲティ #虐殺器官
— あいたん (@aitanprpr) January 23, 2016
戦場描写は混乱と部位欠損。痛覚マスキングにより痛みを感じない状況での戦闘は地獄そのもの。ネルソンは衝撃 #虐殺器官
— あいたん (@aitanprpr) January 23, 2016
反復するのはフックの技法だけではなく、シーンそのものも反復するし、シーンの本質も反復するし、論も反復する。反復の反復によって作品が編まれているイメージ。例、クジラ肉から作った人工筋肉や、ピザの具材のタグ付け→戦場に散らばった肉片もそのようにタグ付けされていればいいのに #虐殺器官
— あいたん (@aitanprpr) January 23, 2016
伊藤計劃読んでると世界地図見たくなるね。社会派サイバーパンクや。ヴィクトリア湖(ケニア、ウガンダ、タンザニア)、ダーウィンの箱庭、ナイルパーチによる自給自足生活の崩壊という社会的事実。からの独立運動 #虐殺器官
— あいたん (@aitanprpr) January 23, 2016