地下室TIMES石左氏へ、元追っかけの私が思うSuck a Stew Dryの魅力

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こんにちは、みさきんぐです。こうして音楽についての連載を始め、今回でちょうど20回目。それでも毎度のことながらもどかしい思いをする。どんなに音楽が好きでどんなに沢山のものを聴いていても、無知なのに変わりはない。自分が感じていることを上手く伝えられないしこの感じているものが正しいのか不安になってなかなかタイピングが進まない。

 

 

そんな中、先日twitterで回ってきた何かと話題の地下室TIMESさんの投稿。

 

「Suck a Stew Dryのどこが良いのか俺にもわかるように説明してくれ」

 

約一年前まで彼らのライブに通い詰める程好きであった私からしても、怒りというよりは面白さを感じるものだった。うん。また、異様に言葉にしたくなったのである。だからこそ、石左氏とSuck a Stew Dryを否定する人々に今回の連載を捧げる。なんだこれ、まるで本の冒頭によくあるヤツみたいだな。
最初に言っておくが、戦う気で書いているわけではない。

好きになったきっかけ

 

私がSuck a Stew Dryと出会ったのは三年半前のこと。当時の私は高校三年生で、受験勉強受験勉強とばかり言ってくる親や先生、それに従う友人たちに疑問を感じていた。今思い返してみてもあの頃の記憶はほぼ無く、あるものといえば勉強していると見せかけ、PCを開きニコ動でボカロやMADを見まくっていた記憶。自分の脳みそでなく電脳にばかりログインする毎日。「勉強なんかやってられっか!!!!」「私は勉強するために生まれてきたわけじゃねえ!!!!」が口癖で……、失礼。

 

 

そしてある日、私は財布の中を見てかなりのお金を持て余していることに気づく。月五千円のお小遣いしか貰っていないにも関わらず、だ。私は人生損をしている気分になった。よし、これを使いまくってやろう。ストレス発散しよう。そう思って足を運んだのが、HMVであった。

当時ももクロ好きであった私は、ももクロファンならば分かるであろう、店長がももクロ推しで有名、展開への力の入れ様が半端なかったとある有名店舗にいた。そこで始めたのは「ジャケット買い」。自棄になっていた。両親の稼いだ金の一部、その小遣いを浪費することで抗っている気分を味わいたかったのかもしれない。店舗中を見回って、手当たり次第引き出してはジャケットを見、戻し、繰り返す。そして最後まで無視していたインディーズコーナー。展開されていた一際目立つ新譜CDに目が留まり、私の手は自然と伸びた。毒々しい赤紫。真ん中には猫。そう、それがSuck a Stew Dry「人間遊び」であった。
シチュー

 

 

帰宅後に聴いた一発目、二時二分。

 

イントロで鳴り始めるメトロノーム音にまずツッコんだ。なぜ一音目にメトロノームを聞かされなければならないのか、声でも楽器の音でもないのかと。ああ、このCDはハズレだったかもしれない。そうがっかりしていた時、突然音の波がやってきた。

鳥肌が立った。メトロノームとそれに続くギター音は限りなく無機質でそっけなささえ感じたのに、彼らが今まで溜めていた何かに襲われる気分だった。

単調なメロディとアレンジから不意に出てくる牙と爪に魅了されたのである。

初ライブ

 

そして彼らSuck a Stew Dryのライブへ初めて訪れたのは2012年12月7日。「ラブレスレター」リリースツアーファイナル。

ここに、何故私が彼らのライブに通うようになったかの鍵がある。

 

 

 

二年と半年くらい前のこと。セットリストなんて記憶の彼方でここに記せやしない。しかし脳内に残っているあの時の「一本の糸」と「カッター」のイメージ、空気感。ライブ全体を通して、細い糸がフロアの中心に一本、ぴんと張られた感覚。あって無いような、言葉少なげなMC。定位置から動かない、息を吸っているかも分からない客たち。繊細で危うい歌声とそれにならったバンドサウンド。緊張感。

 

そして糸にじりじりと刃を入れるカッター。時々切りかかってくるSuck a Stew Dryとしての、一人間としての音、叫びの波。時々、バンドとしてぴたっとはまるかのような瞬間が現れて、歪さ危うさを忘れ去る。心臓が一瞬止まる。ライブ中のシノヤマコウセイ(Vo,G)の目は何かを物語っていた。

 

 

先程から「危うさ」と表現しているが、正直なところ、アンサンブルが合っていなかったり歌が息苦しそうだったり、「上手くない」と当時の私は感じた。しかし、それを超えるものがあり、それが魅力であるのかもしれない。そう思わざるを得なかったのである。あそこまで極端な静と動、それはリズムやテンポから感じるものでなく「音」自身によるもの、を観て聴いたのは、この後にも先にもない。抑え込もうとする意思と、真の感情。作られた自分と内の自分。確かに歌詞はネガティブであるが、薄っぺらい紙の言葉上だけではない。その思いが音としてフロアを覆って私たちの心臓を鷲掴みにする。

その一方で曲によってはPOPさを前面に出してくることもあるから、こちらとしてはたまったもんじゃない。意表を突かれた気分。だってネガティブな歌詞なのにサウンドだけ聴くと明るいんだもの。これは世の中のネガティブ達に寄り添い励ますためなのか。それとも世の中をからかうためなのか、それとも皮肉か。その答えは作曲者のシノヤマコウセイ(Vo,G)しか知らない、いや彼に問うても「わからない」と返すだけかもしれない。

 

 

 

こんな音はSuck a Stew Dryにしか出せない、こんなライブは彼らにしかできない。それが最終的な、これに尽きる、感想であった。

私は一時間半、一歩も動かずにこのライブを観ていた。

Suck a Stew Dryのどこがいいのか

 

私はそれまで、音楽番組で流れるようなJ-POP、そしてクラシックやジャズ、アイドル、有名どころで所謂「上手い」バンドやモッシュだのダイブだのフロアが忙しい音楽を好んで聴いていて、鍛えられていると生意気にも自負していた小娘の耳で、「下手」な歌には顔をしかめ、「上手」な音楽には拍手をし「サイコーーーーーーー!!!!!」と言い音楽を選別していた。

 

しかし、それは人生における損だと、あのライブで気付かされたのである。唯一無二なサウンド、ライブの中で、私は「在り方は一つと決められたわけではない」と悟りそれは身に浸透していった。そして「Suck a Stew Dryのバンドとしての生き様が見たい」「二回目が見たい」、そう強く思ってしまったのである。これが。私が彼らのライブに通うようになったきっかけ。これが。

 

 

 

彼らの感情や意思、矛盾、周りを取り巻くもの、それら両極端なものが一音となって、一曲となって、フロアに押し寄せてくる。このサウンドの魅力は随一と言っても過言ではない。そこで私たちはその音に何かを思って、感じて、傷ついたり慰められたり涙したりする。

 

これが魅力である。なかなか言葉にし難く、「説明してくれ」に応えようとしているのだがまとまらない。言わばやはり、今までに述べてきた危うさや音と感情の波にしても、『ライブ』に行きつくのではないだろうか。そうだ、彼らの魅力はライブである。

 

 

こうして独自の答えに行きついたわけだが、演奏しているご本人たちやファンの方々から「違う」という言葉をいただくかもしれない。分かっているような口ぶりで語ってきたが、これっぽっちも私は分かっていないから。そもそも私自身、最近のライブに足を運んでいないから、私が考える彼らの魅力と今ライブに通っている方々の思うところは大きく異なるだろう。

なので、これは私からの一つの“提示”として受け取ってくださったら嬉しい。

 

 

 

また、音楽っていうのは、技術面の「優れている」「劣っている」で必ずしも判断できないと考えている。どんな音であったってどんな形態をとっていたって、周りから野次が飛んで来ようと、フロアに一人でも心打たれている人、涙している人、笑顔な人がいればこれはれっきとした「良い」音楽だ。100人中100人が良い、好きと答える音楽なんてあるだろうか。そんなところを目指してしまうのは、日本人の悲しい性だと言える。全会一致を求めてしまう私たち。全会一致になってしまえば協議をやり直す習慣のある国だってあるのに。

 

 

Suck a Stew Dryがいて、彼らの音楽が好きな人がいて。それでいいのではないか。

確かに私はあの頃、受験勉強やその後の大学進学という目まぐるしい環境の変化でネガティブさを抱えていたのかもしれないし、そういうオーディエンスが多いことも事実かもしれない。しかし、それはいけないことなのか。特定の人々に訴えかける音楽は「良くない」と判断されるべきなのだろうか。
私は石左氏や同じ考えを持つ人々を否定し叩きのめすつもりはないし、ファン側について被害者ぶり腹を立てているわけでもない。

 

良さなんて皆に伝わるわけがない。皆が洗練さや精緻さを求めているわけではない。私にとっての「良さ」と他にとっての「良さ」は確実に異なる。

 

だからこそ、この投稿は一つの“提示”ということになる。この回答は音楽について無知な私が出した上、絶対のアンサーではない。

 

 

 

是非この機会に、Suck a Stew Dry、そして沢山の音楽に触れて「良さ」について考えてもらいたいなと思う。なんだか終始上から目線で申し訳なく思うが、いろんな方々が考える「Suck a Stew Dryについて」を聞いてみたい、読んでみたい。今現在彼らの生の音に触れている方々のものは特に。私は今やライブに足を運べなくなった老害なので……。いや、CDやDVDは所持している。ただ、ライブでお客さんたちが体を動かしたり手を上げたりするようになり、私は体力的についていけないと感じたためにドロップアウトした。……本当にただの老害である。

 

 

 

長々と、なかなか答えに辿り着かないような、独りよがりの投稿だったように思う。無知なのに大きな口をきいてしまいすみません。読んでくださった方はありがとう。

 

 

 

「次が見たいと思った時、それは良い音楽である」
「技術だけでは判断できないものがある」
「一つの音楽を皆に分からせようとなどしなくていい」
『在り方は、一つではない。在り方に正解はない。』