2016/9/24 しろいぬ

久しぶりの投稿です。しろいぬです。

昨日の日記を書きます。昨日というか、昨夜のことを書きます。

昨夜は映画「怒り」をレイトショーで観ました。

久しぶりの映画だしせっかくお出かけしたからってちょっと贅沢してサイゼリヤで白ワインを飲んでエスカルゴを食べました。グラス100円のワイン。贅沢です。お金欲しい。100万円欲しい。今週のテーマも楽しいですね。私も書きたかったですが日記のほうを書いちゃいました。楽しく読ませてもらっています。来週もし時間と心に余裕があればテーマの書きたいです。

グラスワインでは全然飲んだかんじがしなかったのでさらに贅沢してコンビニで缶チューハイを買い駅の広場のベンチに座って飲みました。前日の雨で少し濡れていたけど気にせず座りました。少し離れたところでタバコを吸っているお姉さま方が同じように気にせず座っていました。広場では路上ライブの若者が歌をうたっていて、オリコン18位になっただとかなんとか。「きみが好き」なことと「会いたい」ことを歌っただけの、ありがちなJ-POPでした。声はきれいでリズムやメロディーも素敵だった。恋をしてる人って好きなことと会いたいこと以外考えないのかもしれない。恋をしたいと思いました。昔好きだった人が同じアーティストを好きだった人が「歌詞聴かないタイプなんだよね~」って言っていてすごくショックだったのを思いだしました。

20:50から映画を観ました。ここから「怒り」の感想です。

映画「怒り」感想

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映画を観た直後は茫然としてしまいました。真顔で固まってエンドロールを眺めていました。

涙でほっぺがぱりぱりになりました。

ショッキングなシーンもいくつかあって、人と一緒に観るのは私にはできないなと思います。ひとりでレイトショーで観るのがベストな映画だった。映画館から出て、電車にのって、帰りながらやっと感情がわいてきて、人間の「苦しさ」とか「みじめさ」みたいなものをひしひしと感じました。そういう感傷に浸っていてようやく、考えのようなものが追いついてきて、ノートに少し書いてみたのですがなんだか発信したくなったので考えたことを書きます。

「わからない」について

人が大きく心を揺さぶられるときそこには必ずなにかしらの共感があると思っています。わたしが何に共感して泣いてしまったのかと考えると、たぶんそれは人に対する「わからない」だと思いました。信じることと疑うこと、がこの映画の大きなテーマのひとつとなっているのですが、「わからない」ことは疑うことの根底にあると思います。自分のことを話さない容疑者たち。「わからない」行動、表情。

人を「わからない」と思って寂しくなったことがあります。家族でさえもわからない。言ってくれないことがたくさんありました。好きな人のこともときどきわからなくなって、どうしてもあと一歩、あと一歩なのに近付けないことがありました。人に「わからない」と言われたことが5回くらいあります。つい1か月前ほど前も同僚に言われました。「いまだにどういう人なのかわかんないんだよねぇ」って言われました。友達の恋愛相談を聞いて「わからない」と言って泣くのを見て怒りのような寂しさのような複雑な気持ちを抱いたことがあります。

自分の見ているその人は、その人のすべてではない。あなたが見ているわたしは、わたしのすべてではない。当たり前のことなのに、その人のすべてを知ることはわたしのすべてを知って理解して愛してもらうことは到底できないのに、どうして望んでしまうんだろう。そういうことを考えました。

「理解できなくたって、好きになることはできるわ。」恩田陸『蛇行する川のほとり』芳野のセリフです。

好きになって信じぬいて、裏切られたらどうするのかなぁ。もし信じた人が殺人犯だったら?心に恐ろしい魔物を飼っていたとしたら?全部嘘だったら?

「怒り」と絶望をそのときどうしたらいいのだろう?

 

重い…..重いですね。日曜の昼間から映画の感想と銘打って激重な文章を発信してしまった…罪深い…..

まぁいろいろ考えたんですけど、私は信じたいなぁと思います。そのほうが、楽しいし。あったかいし。優しいし。裏切られたらそうだな、人間っておもしろいなぁって笑えばいいんじゃないですか。疑って、疑えるだけ疑って、そんなケチに生きなくてもいいんじゃないですか。わかってもらえなくても、自分が信じてる気持ちだけで十分なんじゃないですか。隠したい隠れたい気持ちが確かにあるんですけど、私は笑いたいと思います。生きる上で笑うことはそんなに大事じゃないけど、できることがそのくらいしか思いつかないので、とにかく笑ってたいなぁって思います。優しくなりたい。お金ほしい。

長々とすみませんでした。